展覧会の絵 番外・横尾忠則その1

2014/06/09 at 17:34

←展覧会の絵 その1

Tadanori Yokoo今回、横尾忠則の初期代表作に再会し、やはり同じMOT(東京都現代美術館)での、「森羅万象」と題された、横尾のこれまで最大規模の個展に足を運んだ、2002年夏の記憶が蘇りました。MOTは、その建物自体が一つの素晴らしい建築作品。ゆったりと規模が大きく、その中に異なる空間が様々用意され、その中を旅しながら作品を見ていくという楽しい作りです。その広大な館内に、常設展示室以外の全フロアー、全ての展示室をぶっ通しでの個展、横尾作品が400余点! 作品の数も圧倒的ですが、一点一点がとても強い。美術館にいた2時間程、何を見ても、強烈な横尾世界が目を通してぎりぎりと心に押し入ってくる感じでした。そのエネルギーの凄まじさに圧倒され、見終わって美術館を出た時は、くたびれ果てると共に、精神的にもへとへとの脱魂状態。そうそう、田村美沙さんとはこの展覧会もご一緒でした。彼女も見終わって腑抜けになってたっけ‥‥。

その時は横尾世界でお腹いっぱいになってしまっていたのですが、今回(驚くべきリアル展MOTコレクション)では色々な作家の中で横尾作品を見たこともあり、それらの比較から、横尾世界がいかに特異であるかが際立って見て取れました。横尾を一気にスターダムに押し上げた初期作品群中、18点の代表作です。(初期の横尾作品は、それら全てが代表作と言っても大げさではありません。)

西欧の伝統的な芸術様式には、「美」への意識が根底にあると思います。現実世界の「きれいなもの、美しいもの」を遥かに凌駕した理想的、絶対的なものとしての「美」です。そんな超越的な「美」を構築するために、宗教への接近、壮大化、重厚化、あるいは、理想への純化、形而上学的な昇華の方向性が伝統的な方法論となってきました。近代、現代における表現は、その古典的美の伝統に抗う歴史といっても過言ではないでしょう。現代の作家である横尾も、伝統からかけ離れ、印刷された媒体、そこにデザイン的又は、劇画的手法で、全てを思いきり矮小化してしまいます。モティーフはとてもフィジカル。暴力やエロティシズムも含む、肉体そのものや肉感、生理的感覚に結びついた題材です。しかし、それらをチープで平面化された空間にぺたっと押し込め、戯画的に矮小、軽薄化してしまう事によって、本来フィジカルであるはずものが、プラスティックになり、リアリティーを失うのと同時に抽象性、観念性、シンボル性を獲得してしまうという、逆説的な世界を現出させています。切断された小指に捧げるバラート 横尾作品が際立っているのは、伝統芸術に抗うというより、「ケツまくり」している点です。しかも徹底的に。 今回見たスペイン、そして日本の作家達も然りですが、近代、現代の作品には「否定対象としての美、伝統的方法論」を大なり小なり見てとることができます。外見的に、否定、破壊があるのですが、本質的に伝統を打破し得たわけではありません。対立軸としての伝統があるからこそ可能な否定、「派生した否定」でしかなく、伝統に対する意識性が透けて見えます。否定も肯定も同軸上のあっちとこっち、いわば同じ穴のムジナ。 一方、横尾の世界には、西欧伝統芸術やそれが希求する美への関連性、繋がりの痕跡が見事にかき消されています。しかし、横尾ほどの鋭い直感と感性が、それら美の集積と、その価値に無知であるはずがありません。(現代には伝統に無知な作家も、散見されますが。)その伝統の圧力に対し横尾の選択した答えは、正面切って抗おうとしないことだったと思います。その代わり、自分内部の西欧的な美意識を、自分の直感的感性とそのスピードで自ら出し抜き、「ケツをかく」という、とても奇妙な自己意識に対する裏切り行為をしているように見えます。自分自身のケツをかくわけですから、怖いものしらず。そこに横尾特有の「美って何なの?、芸術ってなんなの?」然とした、掟破りの不遜、不敵なアティテュードが突出します。そんなヤクザな作風は、伝統に対する横尾の内心を隠蔽する装いにもなっています。天井桟敷・定期会員募集 西欧的な伝統芸術は作品至上のところがあり、作家の死後も作品が孤高の唯一無二の存在として輝きを放ち続けることを希求します。そのような唯一無二な作品にオークションで巨額の値がついたりするのはご存じの通りです。しかし、これら横尾作品群はポスターという、あからさまな商業主義印刷媒体。いくらでも刷れて、そこかしこにべたべた。「ポスター作品」自体はロートレックが既にやったことですが、これは大変ナイーヴ。それに比べ横尾のはアナーキズム満々、伝統へのテロリズムのように見えます。ポスターとしての物理性に作品の本質があるわけではなく、そこに表現される世界自体(もしかすると、横尾自身の直感的感性そのもの)が作品の本体だとの強い主張を感じます。音楽における、印刷された楽譜⇔楽曲作品と関係が似ていますね。(音楽の場合、演奏というインター・メディアが存在しますが。)横尾の出自がグラフィック・デザイン畑だったため、意図的というより必然でもありますが、印刷媒体を前提として制作されるので、正規の印刷ならそれら全てがオリジナル。オークションなど屁でもない。 印刷された作品と言うなら、「責め場1・2・3」という連作は、版を重ねることで作品を構成していく印刷課程をそのまま露にすることで、逆に作品が解体される様、いわば解体ショーを表現の本体にしてしまっています。つまり、作品を構成する版を個別にプリントすると、そこには解体された作品のパーツが露になり、そのまま解体現場となるわけです。この捨て鉢な着想一つだけでも舌を巻いてしまいますが、同時に、背後にもうひとつ横尾の意図があるように感じられます。この作品の印刷技法は、シルクスクリーン。これは、スクリーンがマスクとなり、切り抜かれたところにインクが乗る技法。版の実体があるところは紙面の空白、版の切り抜かれた空白の部分に紙面のインクと、「版と紙面」両者の関係が正と負、実と虚という対極にありながらお互いがぴったり対になり、不可分の関係性が生じます。まさに、この作品自体が両者の接面に成立しています。この、作品の制作技法上に存在する対極関係。そして、前述したこの作品のテーマ、「露になった解体現場」、そこにある「構成と解体」の対極関係。さらに、作品自体のモティーフとなっている「SとM」。これら、コインの裏表、対極にあるもの同士が相互を補完し、ねじとねじ穴が出会うようにぴったり一体になる幸せな一点、その接合点が、この作品、「責め場」なのだと思います。何というメイクセンス!これこそが横尾の暗喩だと感じました。(下の写真はその連作中の「3」) 印刷媒体を作品とする手法は、マス・プロダクション、マス・メディア発祥の地、アメリカの作家達が盛んに用いました。(マス=massには、「大量の」とともに「大衆の」の意味もあります。)観念性を軽々蹴飛ばす、横尾の直感的感性のぶっ飛びの前では、ウォーホルもひよっ子に見えます。(個人的にはモンローもキャンベルスープもけっして嫌いではありませんが。)恐らく、横尾は観念自体も直感的に捉え、わしづかみに扱える能力があるような気がします。

横尾は多作の作家で、猛烈な勢いで作品を作り続けています。孤高作品至上の伝統的な作家意識とは対極、パーフォーミング・アートに近い意識を感じます。かのピカソにも、孤高作品と平行して、無推敲の簡便な作品群があり、恐らく意識して即興演奏するかのように描かれたものだと思います。殆どはナイーブなもの、中には筆がじゃれている程度のものも多く、それに比べると、横尾作品は、音楽の演奏の如く、流れるように制作されながらも、作品世界としての充溢度はコンポジション・アート並み。きっと、横尾に降り注ぐインスピレーションがとんでもないのでしょう。何かモーツアルトの多作のよう。

前出「驚くべきリアル展」でのスペイン作家達の暴力性や官能性、グロテスクさはとても扇情的で、それは直情として、あるいは生理的に感得されてしまうのですが、横尾作品の暴力、エロやグロは、ちっとも直情に訴えません。むしろ、大っぴらな作為性によって現実離れした距離感をつくり、そこに形而上学的趣さえ生み出してしまいます。責め場3 日本情緒や艶かしさ、淫靡さも漂うのですが、決して心にまで響くわけではなく、視覚の表層をくすぐる、上っ面だけのプラグマティックな風情なのです。しかし、そんな嘘くさく実のない画面なのに、見ていると作品との間合いに、生と死のはざまで生き物として蠢く、人間の「業」がふっと浮かび上がってきます。のみならず、そこはかとなく「もののあわれ」さえ感じるのは、私が日本人だからでしょうか?花嫁 前にも触れましたが、横尾の制作手法自体はありふれています。しかし、横尾の真骨頂は、そうやって作為された、うさん臭いあぶなさ、どぎつさ、きわどさ、悪趣味すれすれな極端の突先で、針の穴を通すようなメイクセンスをやってのける痛快さにあります。実にスリリング!こんなリスキービジネスは、軽業師のような表現上の非凡な運動、平衡感覚、そしてラディカルを手玉に取る、極めて鋭い直感の横尾にのみ許される芸当。

この奇抜で前人未到の、そして、インモラルでスキャンダラスな企て全てを、こともなげに、無造作、無配慮、全く無遠慮に、ちゃっちゃとやってしまうかに見せる、傍若無人な外見。それは、正々堂々の道場破りでなく、「切り捨てご免」の辻斬りのよう。どこまでいっても箸にも棒にもかかりません。
横尾の中には、文字通り「奇想天外」が溢れています。

実は1970年代初頭に、とある奇遇でその横尾本人と会った事があるのです。

<番外・横尾忠則その2に続く>

アバド逝く

2014/01/22 at 13:35

アバド逝く指揮者クラウディオ・アバドが80年の生涯を閉じました。アバドは私が大きな影響を受けた音楽家の一人です。彼の音楽を聴くと、常に、音楽の持つ二面性、つまり主観面と客観面について考えさせられます。彼にはこの両面において特別に優れた洞察力があり、音楽それ自体に、自然に表現させることをとりわけ大切にした人だと思います。どんな曲も、スコアの隅々まで精緻で明晰。しかし、「情念」については大変慎重で、それが突出しないよう細心の注意を払っているように思われます。つまり、主観が突出することで客観性が損なわれる事を回避し、その代り、瑞々しい音楽的感興が立ち上がることをことのほか大切にしたように思います。(「情念」に慎重だったことは、彼への評価を二分する原因の一つだと思います。)

客観面において、彼のロンドン・シンフォニーとのラヴェルの録音はとりわけ勉強になりました。モーリス・ラヴェルの音楽は、詩的、内的な側面を大切にしたドビュッシーとは対比的に、むしろ、音楽の客観的、外的側面を重視し、もの凄くスタイリッシュな美学に抜かれています。(構造の作りは印象派というより、古典的でさえあります。)ラヴェルの美意識に対するアバドのずば抜けた洞察力が光り、見事にラヴェル世界を瑞々しく立ち上げています。個人的には、アバド以上にラヴェルと相性のいい指揮者はおらず、恐らく、アバドの演奏を天国のラヴェル本人が聴いて、舌を巻いてるんじゃないかと思う程です。

例えば、ラヴェル後期の作品「ラ・ヴァルス」の録音。この曲の内包する「狂気」、「危なさ」を見通し、それをアバド以上に緻密に表現し切った演奏に出会った事がありません。しかも、表面上は優雅でスタイリッシュ。この曲は冒頭から不穏な空気があるのですが、曲が進むにつれ、危なさがたちこめ、だんだん音楽の端々がねじが緩むように狂い始めます。やがて収拾がつかなくなり、狂おしく熱をおび、最後は狂気の沙汰。その頂点であっという間に曲が終わります。聴き手は「ええっ?」と唖然とさせられます。アバド表現の素晴らしいところは、その狂っていく様が「官能的」であること。彼の血がイタリア人であることと、官能的であることとは無縁ではないと思います。

「官能的」という事に関しても、私はアバドの演奏から大きな影響を受けました。私は、この世界で最も官能的な音楽を書いた作曲家は、アルバン・ベルクだと思っています。死への意識と隣り合わせのような音楽で、前出の「ラ・ヴァルス」よりもっと危ない感覚を呼び起こされますが、同時にこの上なく美しく、ベルクの凄まじい美意識に抜かれています。特に最晩年の作品には死への指向が濃く、「ルル」は「冥府への沈降」、ヴァイオリン協奏曲は「天上への昇華」と、とても対照的。アバドは、ベルクのオーケストラ作品集を若い頃ロンドン・シンフォニーと、歳をとってからウィーン・フィルと録音しており、同じ曲が多数重なっているので、聴き比べると大変興味深いです。若い方はベルクの難解で超複雑なスコアを、透かし彫りを見るように精緻明晰な演奏。歳をとってからの方は、心の奥深く、ほの暗い心理の襞に分け入っていくような、怖い感覚があって、ぞっとするような官能の美があります。 私はチキンシャック時代の最後期、ベルクの音楽に惹かれ、夢中で、朝から晩まで様々な演奏家によるベルク作品を聴きあさっていた時期がありました。一番心に迫り、何度も繰り返し聴いたのは、アバドのウィーン・フィルとの録音でした。前出のヴァイオリン協奏曲は、アバドのはLive録音しかなく、この出来がもひとつなのが残念です。(ムターとウィーン・フィルとの演奏を遺して欲しかった。)

話は変わりますが、ジャズの世界で官能的であることを意識しているミュージシャンはあまり多くないように思います。ウエィン・ショーターとハービー・ハンコックは数少ないその二人。例えば「ネフェルティティ」という曲を聴くと、とても官能的なものを感じます。個人的には、この二人はベルクの音楽を聴き込んだ時期があったに違いない?と勝手に想像しています。実は、私がショーターのこの時代の曲を好んで演奏するのは、私なりの「官能性」へのチャレンジでもあるのです。

私は、1800年代の終りから1900年代初め、いわゆる「近代」に惹かれるところがあり、もしタイムマシンがあったら行ってみたいのが、ベルクのいたウィーンとラヴェルのいたパリ。方や、バッハ時代からの古典的な伝統が最後の絢爛なあだ花を咲かせるウィーン。方や、全ての制約から自由を得、軽やかに未知の領域に飛翔するパリ。ロゴスと客観、形式を重んじ、理想を希求する古典的世界観の有終の美と、感覚と主観、心象を重んじ、自由を希求する近代の幕開けがこの二つの都市に集約、象徴されています。私が惹かれるのは、このどちらにもホントにぶっ飛んだところがあるからです。この時代のパリとウィーンにはとんでもないものが溢れていて、まさに晴天の霹靂オンパレード。その事に目を開かせてくれた上、それらの感覚、気風、香りに私を誘ってくれた一人が、アバドでした。

アバドの演奏や人柄は、自分をこれ見よがしに前面に出さないこともあり、一見「ユニーク」だとか、「個性的」の部類に入るようには見えません。しかし、同時に今まで存在する指揮者のどんなカテゴリーに分類することも難しく、一般には賛否、好き嫌いが、分かれるようです。 私にの目には、ワンアンドオンリー、稀代の知性、感性の持ち主に思えます。アバドの演奏を聴いて、驚きとともに「音楽って、こんなことも表現できるんだ。」と、気付かされることの多かったこと!

人間は常に未熟です。そして無知のなかで生きています。私は自分で可能な限り、音楽や文化、そして人間という存在について考えてきたという自負があります。ーーークラウディオ・アバド
 
一度もお会いしたことがないのですが、アバドさんには感謝の気持ちいっぱい。ご冥福をお祈りします。

タイ旅行その4~温もりの古都チェンマイ

2013/10/25 at 14:21

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 スコータイからバスに揺られ、チェンマイのバスターミナルに到着。急に「人の世」に帰ってきたようで、そのギャップが面白かったです。魔法が解けて、止まっていた現実が突然動き出したかのような‥‥‥‥。バスを降りた途端、ソンテウ(乗合タクシー)の運ちゃん達に取り囲まれました。振り払っても最後までしつこくついてきた運ちゃんと値切り交渉。押したり引いたりの末、やっと成立。結果的にガイドブックに書いてあった市中への平均運賃。やれやれ‥‥‥。

ソンテウソンテウは荷台が座席

 チェンマイは歴史的に大変古く、13~16世紀にラーンナー王朝の首都として栄えた町。バンコクに次ぐ、タイ第二の都市と言われますが、市内人口は27万人(バンコクは800万人)と、実際はこじんまりした地方都市。王朝時代の城塞都市の名残、堀と城壁の内側は旧市街、その外に新市街地が取り囲んでいます。 旧市街を歩いていてふっと感じたのは、どことなく雰囲気が京都に似ていること。そういえば、東西南北碁盤の目の道路、高い建物がないのも、京都と同じです。どうやら、景観保存のために建築にも制限があるようです。チェンマイも京都も歩けば、社寺に出会い、町のそこここ、ちょっとした佇まいに、歴史の厚みが顔をのぞかせます。

wat chedi luang私のお気に入りワット・チェディ・ルアン

wat umong洞窟寺院ワット・ウモーン、貸しチャリンコで行きました

wat doi suthep山寺ワット・ドイ・ステープへの龍の階段

wat doi suthep2山頂の境内はまたもやキンキラキン!

 スコータイは、かつての都は滅び、遺跡が残るのみ。現代と繋がりが途切れています。しかし、チェンマイや京都は幾多の激動を乗り越え、街と人々の暮しは今も連綿と続いています。古都たる所以ですね。京都生まれの私は、チェンマイに何かしら親近感を感じるとともに、古き良きものが残り、それらを後世に残していく事の大切さを思いました。

「温故知新」という言葉があります。「温」に「たずねる=訪ねる、訊ねる、尋ねる」の読みと意味があって、読み下すと、「ふるきをたずねて、新しきを知る」。歴史や古典、過去の遺産である様々な伝統、芸術、思想や教えに学び、今に通用する新たな視点や発見を得るという意味だそうです。時代、そして洋の東西すら越え、人間存在の根幹に関わる普遍的な真理や真実、智慧を、そこに見出すことが出来るからでしょう。 私事で恐縮ですが、表現に携わる者の端くれですから、私も「ふるきをたずね」ようと、頻繁にクラシックのコンサートや美術館に出掛けます。何百年も昔、ヨーロッパで創作された作品なのに、現代の日本人である私の心に、今、瑞々しい感動が湧き上がります。傑出した作品には、作者個人や、時代や文化、肌の色の違いも超え、同じ人間ゆえ心の底で共感し揺さぶられる、美しさや感興がこもっているのですね。これも根源的普遍。人類の宝というに相応しい創造に、身近に接し、学べるのは大変幸せな事だと有難く思っています。 しかし、これら過去の遺産や英知に宝のような価値があるからといって、守旧、復古、懐古主義に走るのは何の意味もありません。私達が生きて立っていられるのは「今・ここ」だけ。しかも、そこは常に真新しく、前にしか時計の針が進まないのは自明だからです。では、私達が生きる「今・この世界」は?  現代を席巻する資本主義は、過剰に競争スピードが上がり、目先の利益を勝ち取るために、とてもせちがらい社会を作り出しました。一世を風靡したものがあっという間に陳腐化し、台頭する次にすぐ取って代わられる、そんな刹那的世相の中を、人々は駆り立てられるように生きています。押し寄せる変化の波に「乗り遅れる事への恐怖」が根底にあるのではないでしょうか。そんな現代にこそ、時代に左右されない、本質的、普遍的な価値を見通す目を養う必要があると痛感します。「今・ここ」の突先で前を向き、本当に確かで大切なものを見通す智慧の目です。

バンコクでは、現代潮流の波風が押寄せ、旧来のものとせめぎ合い、入り混じり合って、渦のような混沌としたエネルギーを感じましたが、ここチェンマイでは、街も暮しも十分モダナイズされていながら、一転、穏やかで柔らかい時が流れているように感じられました。同じく、京都にもゆったりした空気がありますが、あっちはもっと洗練され、しかも、したたか。東京に象徴される「現代」に意図的に距離を置こうとしているふしすら見受けられます。 調べてみると「温故知新」の「温」にもう一つ別の読み、文字通り「温める」もあるとのこと。京都やチェンマイの住人みんなが、「ふるきをたずねる」のにそれほど熱心とは思えませんが、確かに、昔から受け継がれてきた遺産や伝統を、今もその暮らしのなかに温め続けているように思われます。 古き良きものが、日々の生活に息づいているなら、慌ててそれらを新しいものに取り替える必要などありません。せわしない現代に一歩距離をおく、そんな古都のゆとりが、訪れる人に安らぎを与えるのでしょう。大切にされてきた古いものには、何か温かさが感じられます。正に「温故」のおかげですね。 のんびり歩くチェンマイ旧市街、道すがら、懐かしく、ほっこりした温もりに満たされました。

<タイ旅行 了>

Toru_Cafeえっ?

タイ旅行その3~混沌・未分化と無秩序

2013/09/15 at 22:15

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lotus flowerコラム「混沌のバンコク(タイ旅行その1)」に予想以上に反響がありました。びっくり、そして少し嬉しいやら‥‥。  ある方からメールをいただき、東北の被災地の混沌とした状況に言及され、青年のパワー、未来への展望が見えないこと、更に日本全体が同じような状況ではないかと、悲しんでおられました。確かに、被災地、そして原発で起きていることは、行き詰まった末、山積みの問題を前にして、身をすくめ、固まってしまったような状況です。日本全体の状況とも共通するのは、全てが場当たり的対症療法であること。 問題点を的を射た視点でよく分析し、しっかりとした現状認識を持つことから始め、将来の選択肢としてのヴィジョンと方法、それらのメリット、デメリットを示し、オールジャパンの議論を尽くして、そのいずれかを選択し、実行するしかありません。そこには創造的な智慧と実行力、そして忍耐が不可欠です。これが出来ないところに、東北、原発を含む日本全体の病巣があると感じます。なぜこれが出来ないのでしょうか?いつまでこれが続くのでしょうか? 今の日本は、若者が将来に楽天的な夢を持つには程遠い状況ですが、動きのとれないように見える現状も、無常ですから、放っといても時の流れに洗われ、変化することは不可避な事実です。同時に今、少なくとも、私達には選択し、実行できる自由とその余地があります。つまり、状況を意志的に変えていくことが出来る事を忘れてはなりません。 2020年オリンピックの招致を決め、このニュースで日本が沸き立ちましたが、これが、日本問題の本質から単に目をそらすだけのものに終わらないことを切に願います。

「カオス=Chaos」という言葉は混沌と訳されることが多いのですが、古典ギリシャ語で、森羅万象が形成される以前の、原初の未分化なエネルギーに満ちた状態を意味するようです。同じ語源の言葉が、英語では「ケイオス」と発音され、「無秩序」「大混乱」口語的には「ムチャクチャ」の意味で使われるようです。東北のどん詰まりの混沌はこちらの「ケイオス」に近いように思えます。一方、バンコクの混沌は、未だ一定の秩序や形式の枠に収まることのない、エネルギーに満ちた混沌。こちらはギリシャ語の「カオス」。

物事が形作られ始めると、そこに「秩序」が形成され始め、やがてしっかりと秩序が全体を支配するようになると、その物事の形や性質、状態が維持されます。様々な要因で、秩序が崩壊し始める時が、形の崩壊と、混沌の始まりと言えると思います。現象の生滅の前後にあるのが、混沌ということでしょうね。同じ混沌ですが、現象を中心に観ると、その前後で、未分化の混沌、無秩序の混沌と言えそうです。

現象の世界は、生滅がひっきりなし。復興が遅々としてして進まない東北も、長いスパンで考えると、50年後、100年後も、今と同じどんずまり状況が続いてるとは思えません。しかし同時に、震災以前と同じ姿に戻っているとも思えません。現象(諸行)の無常はその通りですが、自分が大切にしていたものを失ったとき、それを何としても取り戻したいと願うのが人の情。現象と人心のギャップは常に葛藤をもたらします。栄華を極めたスコータイ王朝も末期は大変な混乱、混迷の中に、人々が右往左往したことでしょう。しかし、悠久の時の流れの中では、全てははかない夢のあと。今は全てが鎮まり、文字通り、静まり還って、次の時を待っているかのようです。 転じて観ると、原発事故処理が終息し、鎮まらないかぎり、福島には次の時は来ません。

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タイ旅行その2~悠久のスコータイ

2013/09/03 at 16:33

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世界中どこへ行っても、観光スポットほとんどは、寺院や歴史的な建造物です。私の実家は世界有数の観光地、京都。世界中から人が来てどこへ行くかと言うと、お寺や神社です。タイでも、ガイドブックで紹介される観光スポットはお寺。(タイ語で「ワット~~~」)バンコクでは、やっぱり巨大な涅槃仏(横臥した仏像)で有名な「ワット・ポー」へ行ってきました。Wat Pho日本の寺院や仏像は金箔や彩色が落ちても、渋いまま元に戻さない方が多いようです。(金閣寺や、平安神宮は例外?)それはお茶の「侘び寂び」の影響でしょうか?いずれにしろ、風景や自然に溶け込んだ佇まいは、日本人の気風に合っているように思います。それに比べ、タイの寺院のカラフルなこと!そして金ピカでエキゾティックな面持ちの仏像。日本人の私にはちょっとそれが「安っぽく」感じられました。

実は今回のタイ旅行でどうしても行きたかったのはスコータイ。同じ仏教寺院でも、スコータイのは、13世紀頃の仏教遺跡群。遺跡としては、バンコクからも近いアユタヤが有名ですが、スコータイはアユタヤより観光地としてはおっとりしたもので、アクセスもあまり良くありません。平日に行ったのですが、観光客も少なく閑散としていました。それがかえって良かったと思います。スコータイ歴史公園から一番近い宿をとり、午前中に到着したので、早速宿の自転車で出掛けました。歴史公園の城壁内有料区域は広い敷地に沢山の遺跡群があり、公園として整備保存されていました。広いのですが、自転車で走り回り、お昼すぎには有料区域の遺跡全部を周り切ることが出来ました。Skhothai 01

昼食後、区域の外に点在する遺跡に行ってみることにしました。この辺りは、少し街から離れると、豊かな森が広がる、たおやかな自然に包まれています。地図を頼りに自転車を走らせると、風景の中にとけ込むように佇む遺跡は、時を超えて目の前に現れてきたかのようで、驚きを伴った新鮮さがありました。Wat Sri Chum2一番のお気に入りは、ター・パー・デーン堂。スコータイで一番古い遺跡で、13世紀の仏教寺院建立以前の、12世紀のヒンドゥー教の祠。仏教遺跡は様式美があり、大変洗練されているのですが、こちらはもっとプリミティヴ。ゴロンとした存在感が何かユーモラスでした。San Ta Pa Daen

よく整備保存された有料区域に比べ、外の遺跡は、まだ修復が進まず、少し荒れていて、文字通り「遺跡」の佇まいがありました。他の観光客とも全く会わず、遺跡の中にぽつんと私達だけ。おかげで「夢のあと」の寂寥感を、そこはかとなく味わえました。その昔、王朝の都として栄華を極めたに違いありません。その興亡とともに、壮大な人間ドラマが繰り広げられたことでしょう。しかし。今は静けさの中、夏草に覆われ、朽ちた建物の形骸が残るのみ。正に諸行無常。実はこの「諸行無常」という言葉は、重要な教えを内包した仏教用語です。バンコクのピカピカのお寺でははなく、崩れかけたお寺の残骸に囲まれ、諸行無常を実感するとは、逆説的ですね。想いを巡らせながら上を見上げると、ゆったりと流れるポワンとした雲と、突き抜けるような青空が広がっていました。地上では一つの文明が華咲き、やがて滅び去っても、何にも動じず、変わらず全てを包み込む大空に、その時、悠久の時の流れを感じました。

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タイ旅行その1~混沌のバンコク

2013/08/04 at 17:28

色々抱えていた案件が落着したので、気分転換も兼ね、一週間程タイに行って来ました。以前からタイには親近感を感じていたこと、それから豊田勇造くんの歌に出て来る様々なタイの顔を、自分の目で見て体感したかったからです。

バンコク~スコタイ~チェンマイとタイ中央から北への旅でした。

bankokバンコクには正にアジアのカオス(混沌)があり、聖俗、新旧、洋の東西、美醜、貧富等々、どんな物でも飲み込んでしまう、コントロールを超えたエネルギーが満ちていました。特に、日本と一番違うのは、若者達がエネルギッシュであること。将来に対して楽天的で、若さを思いきり楽しんでいるように見えました。日本のような格好だけの洗練はありませんが、内に溢れる元気さが光っていました。

新しい何か、クリエイティブな発想が生まれてくる土壌は、決してクリーンで整った状況ではなく、雑菌うようよの何だか分けの分らないカオスな場が必要な気がします。矛盾と相克の緊張と、ぶつかり合い、破壊と創造をはらんだ、渦のようなエネルギー。私の青春時代、60年代~70年代の日本には、価値観すべてが揺らぎ、壊れていくような混沌のエネルギーが社会に満ちていました。ユニークな人達、びっくりする出来事やもの等、文字通り奇想天外だらけで、お金はなかったけど、とにかく面白かった。当時気鋭の奇才画家、岡本太郎が「芸術は爆発だ!」という言葉を残しましたが、正にそんな感じの時代でした。私は夢中でその時代を駆け抜けました。今振り返っても、かけがえのない青春でした。(ちなみに、私は岡本に共感を感じつつも、実は、彼の作品と表現のやり方は必ずしも好きではありません。)

どういうわけかバンコクの雑踏の中て、あの青春時代に似た熱気を感じ、あの頃の記憶が蘇りました。同時に、自分の内に、ある種のカオスを養わないといけないなあと、実感しました。 心をちゃんと整理しておいた方が、落ち着いて生活出来るのですが、それではあんまり面白みのない人生かな? 反対に混沌もよしとし、整理し切れない、ふつふつしたエネルギーに自分を浸す方が、インスピレーションが降って湧くような気がします。ピアニストである私には、インスピレーションは不可欠ですから、どうすれば自分をそのような状態に持って行く事が出来るでしょう? 岡本太郎は「反骨」を糧にしたように思います。反骨は分かり易いし、社会的にもカッコイイ、例えば「反骨の芸術家」なんてね。しかし、私にとっては「反骨」に少し違和感があり、反骨とは違うもっと自然な質のアプローチをしたいのです。

ではどういうアプローチかというと、「決めつけない事」「とらわれない事」、そして何より、混沌であれ、反骨であれ、何でも受け入れ、包み込む「おおらかさ」。 心には本来的に自由で制限のないエネルギーが宿っていて、無理して型にはめず、流れるままに解放する事が重要な鍵になる気がするのです。 岡本の、個による体制への反骨、いわば、個と世界が対峙する西欧的世界観に対して、私のは東洋的世界観からのアプローチかも知れません。バンコクの混沌には、確かに楽天的なおおらかさがありました。

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マイルスに教えられた事 その2

2012/12/31 at 14:02
←マイルすに教えられた事その1

birth of cool

マイルスを語る時、”Cool”(クール)という言葉がキーワードだと思います。この英単語の口語的語感は単に「冷静」というだけでなく、知性的、洗練された、というニュアンスに加え、「いかす」つまり、何よりもかっこよくなければなりません。 マイルスはワン・アンド・オンリーというだけでなく、いつの時代も常にジャズ界のトップランナーとして君臨し続け、時代の節目にバンドのスタイル驚く程変化させてきました。そのどれを聴いても一貫して “Cool” な音楽をやろうとするマイルスの姿勢が感じられるのです。

活動初期、マイルスは新進トランぺッターとしてパーカーのバンドにも在籍、ニューヨーク・バップ・シーンのど真ん中にいたわけです。周りにはクリフォード・ブラウン、ディジー・ガレスピー等、すごいトランぺッターが目白押し。全く個人的な推測ですが、音も貧弱、テクニックも大したことのないマイルスは、相当コンプレックスを感じていたのではないかと思います。(実際パーカーとの録音を聴くと、聴き劣り感は否めません。) ビーバップの演奏は、弁論大会の雄弁みたいで、すごい勢いでフレーズを吹きまくる、熱気あふれるアドリブ合戦です。圧倒的な個人技を誇る奏者がひしめく土俵で、同じ事をやっていたら勝てる訳がないとマイルスは考えたに違いありません。 悩んだ末、彼の出した答えが、アルバム “Birth Of Cool” だったと思います。個人技、アドリブ中心と正反対の方向性、つまり9人編成の緻密で洗練されたアンサンブル。そして熱に浮かされたビーバップの “Hot”とは真逆、知性的で冷静な音空間。何よりもそこには明確で意識的な「スタイル」がありました。

録音に参加したミュージシャン達はその後ウエスト・コーストを中心に「クール・ジャズ」というジャズのスタイルを作っていきます。 しかし、マイルス自身のアルバムを聴くと、このクール・ジャズの一派とは全く一線を画した空気があります。マイルスにとって”Cool”とは、単に冷静、知性的な演奏という表面的な事ではなく、意識面での、音楽や物事に対するアティテュード(意識の姿勢、態度)を意味していたのだと思います。ビーバップの演奏家達にコンプレックスを持っていながらも、”Hot”で汗だくなそのスタイルが、田舎っぽくダサイと感じていたマイルスは、同時に、ずば抜けて冷静で洗練された知性と感性が、自分に備わっている事を強く自覚していたと思います。その目覚めた意識を形に表現することこそ「”Cool”=かっこいい」と、そして、それができる自分の存在そのものが”Cool”なんだと、彼はそう言いたかったのではないかと想像しています。このアルバムはマイルスがワン・オヴ・ゼムからワン・アンド・オンリーへ一歩踏み出した記念碑と言えるでしょう。彼のどのアルバム、何を聴いても、「オレの音楽は違うだろ?こんな芸当はオレだからできる」とささやく彼の声が聞こえる気がしきます。こんなに自覚的な強い自己意識を持ち、それを意識的に表出してきた男は、ジャズの世界では、他に知りません。<マイルスに教えられた事その3に続く>

マイルスに教えられた事 その1

2012/10/07 at 18:43

私は中学生の頃から「ジャズ喫茶」に出入りするちょっとませた少年でした。学生寮で先輩がかけていたジャズをいっぺんに好きになり、もっと聴きたいとその先輩に言うと、ジャズ喫茶に連れて行ってくれたのがはじまりでした。タバコと珈琲が入り混じった匂いと、店自慢のオーディオから流れる大音量のジャズ。ゆうに数千枚のコレクションからマスターがかけるLPレコードの音を、珈琲をすすりながらただただ黙って聴くだけのお店。私語など厳禁。「通」じみた雰囲気が大人な感じに思え、中学生の私にはわくわくする経験でした。ジャズ喫茶は、今思えばかなりへんてこな商売ですが、当時はそれで成り立っていたのは面白い時代でした。ともあれ、珈琲一杯で何時間も粘れて、ジャズをしこたま聴けるので、すぐ入り浸るようになりました。当初は何の知識もなく、全く真っさらで聴いていたわけで、勿論ジャズの音楽理論なんかはゼロ。「いったい何だかわかんない」のですが、私の耳にはすごく新鮮で面白い音楽に聴こえました。(可能ならあの頃に戻りたい!)ある日、いつものようにジャズ喫茶で聴いていたら、何枚目かにすごく不思議なジャズがかかりました。それまでに聴いたジャズとは全く異質、まるで宇宙人の音楽のよう。同時に背中がゾクッとする程かっこいい!そのレコードは赤いジャケットで、マスターに確かめたらマイルスの新譜、”Miles Smiles” と教えてくれました。それからしばらく、ジャズ喫茶に行く度にこのアルバムをリクエストしていました。理論も何も知らないので、分析的には何がどうかっこいいのかわからないのですが、何度聴いてもゾクゾクしてしまうのでした。もうこれは買うしかないと、輸入版を扱うレコード店に行ったら、新譜なのでアメリカから取り寄せになると言われ、1ヶ月かそこら経った頃、待ちに待った入荷通知(ハガキ)が来ました。受け取りに行く時のわくわくした気持ちは今も忘れられません。かくして、Miles Smiles は私が初めて買ったジャズのレコードとなりました。(実はその時もう1枚買ったのですが、それは、”Solo Monk“。こちらも強烈なインパクトを受けたレコードでした。)その後、”Sorcerer“、”Nefertiti“とマイルスの新譜が出る度に夢中になりました。ミュージシャン経験を積んだ今聴いても、そのかっこよさは全く色あせてはいません。その上、音楽的にも他の追随を許さないとんでもない内容という事がよくわかります。(少年時代の自分はいい感性してたなと、少しまんざらでもない気持ちになります。)

その後、様々なご縁が重なって、図らずも私はジャズピアニストになってしまいました。なぜ中学時代の事を書いたかと言うと、私のジャズ人生でマイルスから受けた影響、教えられた事は計り知れないのですが、振り返ってみるとマイルスとの出会いは、ジャズ喫茶で初めて聴いた衝撃の Miles Smiles にさかのぼるからです。<マイルスに教えられた事その2に続く→

夏の電力不足・養老孟司の話

2012/09/10 at 15:45

そろそろ夏が終わろうとしています。振りかえって見ると、関西の電力が足りなくなるから大変だ!と大騒ぎの最中、一人「電力不足、結構な話じゃありませんか。」と言っていたのが養老(孟司)さん。なぜ結構かというと、「人の価値が上がる」から。電力不足で機械が止まると、その分人が働く必要がある。人へのニーズが高まり人の価値が上がる、との論です。逆にいうと、社会を高度に機械化した事により、人は自分達の価値を自ら下げる結果を招いてしまった、という考えです。しかし、養老さんは何も前機械文明社会への回帰を原理主義的に唱えているのではないと思いました。むしろ、機械化をここまで押し進めてしまった人間の物の見方、効率を上げる事が強迫観念化した現代の価値観の是非を問うていると思います。換言すると、人が額に汗して働く事の尊さを見失った社会は本当に人のためになるか?、幸せをもたらすか?という問いです。ある程度の効率は確かに人に「楽」をもたらします。しかし機械化が進み過ぎた先進国を見ると、どこも大量の失業者、経済も社会も政治も矛盾だらけ。いっぱい物を持っているのに満足感が生じず、先行きに夢や希望も乏しい。それどころか仕事をなくしたら、自分を無価値と感じ心が病んでしまう。日本も例外ではありません。こんな高効率社会の対極にあるモデルとして「幸福の国ブータン」を考えれば、その対比から私達の問題点が鮮明になると思います。 一体この機械化、効率化の正体とは? 真に人に幸せをもたらす価値観とは? そして、そもそも「幸せ」とは? 自分の頭でよく考えてみろと養老さんが問いかけているように感じました。

ちなみに、今夏関西の電力実需を検証すると、大飯原発の再稼動がなくても電力は十分足りていたとの報道。この国の病は重い。