タイ旅行その4~温もりの古都チェンマイ

2013/10/25 at 14:21

←タイ旅行その3へ

 スコータイからバスに揺られ、チェンマイのバスターミナルに到着。急に「人の世」に帰ってきたようで、そのギャップが面白かったです。魔法が解けて、止まっていた現実が突然動き出したかのような‥‥‥‥。バスを降りた途端、ソンテウ(乗合タクシー)の運ちゃん達に取り囲まれました。振り払っても最後までしつこくついてきた運ちゃんと値切り交渉。押したり引いたりの末、やっと成立。結果的にガイドブックに書いてあった市中への平均運賃。やれやれ‥‥‥。

ソンテウソンテウは荷台が座席

 チェンマイは歴史的に大変古く、13~16世紀にラーンナー王朝の首都として栄えた町。バンコクに次ぐ、タイ第二の都市と言われますが、市内人口は27万人(バンコクは800万人)と、実際はこじんまりした地方都市。王朝時代の城塞都市の名残、堀と城壁の内側は旧市街、その外に新市街地が取り囲んでいます。 旧市街を歩いていてふっと感じたのは、どことなく雰囲気が京都に似ていること。そういえば、東西南北碁盤の目の道路、高い建物がないのも、京都と同じです。どうやら、景観保存のために建築にも制限があるようです。チェンマイも京都も歩けば、社寺に出会い、町のそこここ、ちょっとした佇まいに、歴史の厚みが顔をのぞかせます。

wat chedi luang私のお気に入りワット・チェディ・ルアン

wat umong洞窟寺院ワット・ウモーン、貸しチャリンコで行きました

wat doi suthep山寺ワット・ドイ・ステープへの龍の階段

wat doi suthep2山頂の境内はまたもやキンキラキン!

 スコータイは、かつての都は滅び、遺跡が残るのみ。現代と繋がりが途切れています。しかし、チェンマイや京都は幾多の激動を乗り越え、街と人々の暮しは今も連綿と続いています。古都たる所以ですね。京都生まれの私は、チェンマイに何かしら親近感を感じるとともに、古き良きものが残り、それらを後世に残していく事の大切さを思いました。

「温故知新」という言葉があります。「温」に「たずねる=訪ねる、訊ねる、尋ねる」の読みと意味があって、読み下すと、「ふるきをたずねて、新しきを知る」。歴史や古典、過去の遺産である様々な伝統、芸術、思想や教えに学び、今に通用する新たな視点や発見を得るという意味だそうです。時代、そして洋の東西すら越え、人間存在の根幹に関わる普遍的な真理や真実、智慧を、そこに見出すことが出来るからでしょう。 私事で恐縮ですが、表現に携わる者の端くれですから、私も「ふるきをたずね」ようと、頻繁にクラシックのコンサートや美術館に出掛けます。何百年も昔、ヨーロッパで創作された作品なのに、現代の日本人である私の心に、今、瑞々しい感動が湧き上がります。傑出した作品には、作者個人や、時代や文化、肌の色の違いも超え、同じ人間ゆえ心の底で共感し揺さぶられる、美しさや感興がこもっているのですね。これも根源的普遍。人類の宝というに相応しい創造に、身近に接し、学べるのは大変幸せな事だと有難く思っています。 しかし、これら過去の遺産や英知に宝のような価値があるからといって、守旧、復古、懐古主義に走るのは何の意味もありません。私達が生きて立っていられるのは「今・ここ」だけ。しかも、そこは常に真新しく、前にしか時計の針が進まないのは自明だからです。では、私達が生きる「今・この世界」は?  現代を席巻する資本主義は、過剰に競争スピードが上がり、目先の利益を勝ち取るために、とてもせちがらい社会を作り出しました。一世を風靡したものがあっという間に陳腐化し、台頭する次にすぐ取って代わられる、そんな刹那的世相の中を、人々は駆り立てられるように生きています。押し寄せる変化の波に「乗り遅れる事への恐怖」が根底にあるのではないでしょうか。そんな現代にこそ、時代に左右されない、本質的、普遍的な価値を見通す目を養う必要があると痛感します。「今・ここ」の突先で前を向き、本当に確かで大切なものを見通す智慧の目です。

バンコクでは、現代潮流の波風が押寄せ、旧来のものとせめぎ合い、入り混じり合って、渦のような混沌としたエネルギーを感じましたが、ここチェンマイでは、街も暮しも十分モダナイズされていながら、一転、穏やかで柔らかい時が流れているように感じられました。同じく、京都にもゆったりした空気がありますが、あっちはもっと洗練され、しかも、したたか。東京に象徴される「現代」に意図的に距離を置こうとしているふしすら見受けられます。 調べてみると「温故知新」の「温」にもう一つ別の読み、文字通り「温める」もあるとのこと。京都やチェンマイの住人みんなが、「ふるきをたずねる」のにそれほど熱心とは思えませんが、確かに、昔から受け継がれてきた遺産や伝統を、今もその暮らしのなかに温め続けているように思われます。 古き良きものが、日々の生活に息づいているなら、慌ててそれらを新しいものに取り替える必要などありません。せわしない現代に一歩距離をおく、そんな古都のゆとりが、訪れる人に安らぎを与えるのでしょう。大切にされてきた古いものには、何か温かさが感じられます。正に「温故」のおかげですね。 のんびり歩くチェンマイ旧市街、道すがら、懐かしく、ほっこりした温もりに満たされました。

<タイ旅行 了>

Toru_Cafeえっ?