10月の演奏スケジュール

2013/09/24 at 21:08

swimmers

10月のスケジュール(前月→
4(金)
ケイ(赤坂)03-3586-5151
w/
大江恵(vo)松井絵美(vo)國分耕一(b) 
8(火)
青山 MANDALA (外苑前)  03-5474-0411
w/candools/(亀渕)友香&チエ+青島信幸(b)
牧原正洋(tp)安藤正則(ds)
10(木)
野毛 ジャンク  (横浜 野毛)  045-242-1433
w/清水秀子(vo) 安藤信二(ds)斎藤誠(b)
17(木)
Sometime  (吉祥寺)  0422-21-6336
w/吉野ミユキ(as)矢野伸行(b)公手徹太郎(ds)
18(金)
P’s Bar  (池袋)  03-5391-3365
w/
吉野ミユキ(as)矢野伸行(b)
19(土)
マンハッタン  (阿佐ヶ谷)  03-3336-7961
w/
吉野ミユキ(as)矢野伸行(b)正清泉(ds)
20(日)
東京倶楽部目黒  (目黒)  03-6417-0166
w/上西千波(vo)岸徹至(b)
22(火)
Lady Day (練馬春日町)03-3998-0660
Duo! w/八月薫子(vo)
24(木)
Sometime  (吉祥寺)  0422-21-6336
w/譜久里ゆかり(vo)高橋佳輝(b)吉尾公弘(ds)
26(土)
シグナス(銀座) 03-3289-0986
w/青島信幸(b)原田佳和(ds)+湊ゆに(vo)Tathumi(vo)
27(日)
Sometime  (吉祥寺)  0422-21-6336
w/清水秀子(vo)斎藤誠(b)関根英雄(ds)
28(月)
Sometime  (吉祥寺)  0422-21-6336
megasameta Quartet/高瀬龍一(tp)古野光昭(b)安藤正則(ds)
30(水)
Meg  (吉祥寺)  0422-21-1421
w/高橋康廣(t安東昇(b)松尾明(ds)
31(木)
スマイル  (浅草)  03-3841-6908
w/辻邦博(g,vo)山田晃路(b)

タイ旅行その3~混沌・未分化と無秩序

2013/09/15 at 22:15

←タイ旅行その2へ

lotus flowerコラム「混沌のバンコク(タイ旅行その1)」に予想以上に反響がありました。びっくり、そして少し嬉しいやら‥‥。  ある方からメールをいただき、東北の被災地の混沌とした状況に言及され、青年のパワー、未来への展望が見えないこと、更に日本全体が同じような状況ではないかと、悲しんでおられました。確かに、被災地、そして原発で起きていることは、行き詰まった末、山積みの問題を前にして、身をすくめ、固まってしまったような状況です。日本全体の状況とも共通するのは、全てが場当たり的対症療法であること。 問題点を的を射た視点でよく分析し、しっかりとした現状認識を持つことから始め、将来の選択肢としてのヴィジョンと方法、それらのメリット、デメリットを示し、オールジャパンの議論を尽くして、そのいずれかを選択し、実行するしかありません。そこには創造的な智慧と実行力、そして忍耐が不可欠です。これが出来ないところに、東北、原発を含む日本全体の病巣があると感じます。なぜこれが出来ないのでしょうか?いつまでこれが続くのでしょうか? 今の日本は、若者が将来に楽天的な夢を持つには程遠い状況ですが、動きのとれないように見える現状も、無常ですから、放っといても時の流れに洗われ、変化することは不可避な事実です。同時に今、少なくとも、私達には選択し、実行できる自由とその余地があります。つまり、状況を意志的に変えていくことが出来る事を忘れてはなりません。 2020年オリンピックの招致を決め、このニュースで日本が沸き立ちましたが、これが、日本問題の本質から単に目をそらすだけのものに終わらないことを切に願います。

「カオス=Chaos」という言葉は混沌と訳されることが多いのですが、古典ギリシャ語で、森羅万象が形成される以前の、原初の未分化なエネルギーに満ちた状態を意味するようです。同じ語源の言葉が、英語では「ケイオス」と発音され、「無秩序」「大混乱」口語的には「ムチャクチャ」の意味で使われるようです。東北のどん詰まりの混沌はこちらの「ケイオス」に近いように思えます。一方、バンコクの混沌は、未だ一定の秩序や形式の枠に収まることのない、エネルギーに満ちた混沌。こちらはギリシャ語の「カオス」。

物事が形作られ始めると、そこに「秩序」が形成され始め、やがてしっかりと秩序が全体を支配するようになると、その物事の形や性質、状態が維持されます。様々な要因で、秩序が崩壊し始める時が、形の崩壊と、混沌の始まりと言えると思います。現象の生滅の前後にあるのが、混沌ということでしょうね。同じ混沌ですが、現象を中心に観ると、その前後で、未分化の混沌、無秩序の混沌と言えそうです。

現象の世界は、生滅がひっきりなし。復興が遅々としてして進まない東北も、長いスパンで考えると、50年後、100年後も、今と同じどんずまり状況が続いてるとは思えません。しかし同時に、震災以前と同じ姿に戻っているとも思えません。現象(諸行)の無常はその通りですが、自分が大切にしていたものを失ったとき、それを何としても取り戻したいと願うのが人の情。現象と人心のギャップは常に葛藤をもたらします。栄華を極めたスコータイ王朝も末期は大変な混乱、混迷の中に、人々が右往左往したことでしょう。しかし、悠久の時の流れの中では、全てははかない夢のあと。今は全てが鎮まり、文字通り、静まり還って、次の時を待っているかのようです。 転じて観ると、原発事故処理が終息し、鎮まらないかぎり、福島には次の時は来ません。

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カレーの海で泳ぎたい

2013/09/06 at 14:21

9784895112369_1私の実弟、続木義也が本を書きました。

続木四兄弟、一番下の弟は、京都下鴨でカフェ・ヴェルディという自家焙煎珈琲店を営んでいます。飲食業のプロというだけでなく、自身もかなりの食いしん坊で、彼の京都食べ歩きのブログコラム「店主の気まぐれ日記」は、大変人気があり、グルメ雑誌編集者やライター、その他プロ達ももこっそり読んでるそうです。私も時々読みますが、食べ物大好きな彼個人の趣味とともに、職業人ならではの視点と意見がバランスよく配され、とても参考になります。

そんな彼のコラムに、数年前からカレーにまつわる記事が増えはじめました。実家に帰ると、「兄貴、カレー喰いにいこう。」と誘ってくれるようになりました。一緒に食べながら話を聴くと、インドやタイのスパイス料理の魅力にどっぷりのようです。もともと彼にはマニアックな一点追求型の性格があり、それが幸いし、珈琲をとことん極めて今の彼の店、カフェ・ヴェルディがあるわけです。 その彼が、今度はカレーにハマっているので、もしや将来インド料理屋さん?と恐る恐る訪ねたら、餅屋は餅屋だから、自分はやる気はないとのことで、ちょっとホッとしました。 しかし、彼のマニアぶりはコラム等を通じてよく知られる所となり、ある編集者からカレーの本出しませんかと話があったそうです。悩んだ末引き受け、ついに「カレーの海で泳ぎたい」出版の日の目を見た次第です。身内の贔屓目を差し引いても、なかなか良く書けていると思います。内容も面白く、読み始めたら一気に読んでしまいました。何よりも、読んでると、”ああカレーが食べたい!”

特に、カレー好きの方はぜひご一読を。なかなかスパイシーな一冊ですよ。(Amazon→)

タイ旅行その2~悠久のスコータイ

2013/09/03 at 16:33

←タイ旅行その1へ

世界中どこへ行っても、観光スポットほとんどは、寺院や歴史的な建造物です。私の実家は世界有数の観光地、京都。世界中から人が来てどこへ行くかと言うと、お寺や神社です。タイでも、ガイドブックで紹介される観光スポットはお寺。(タイ語で「ワット~~~」)バンコクでは、やっぱり巨大な涅槃仏(横臥した仏像)で有名な「ワット・ポー」へ行ってきました。Wat Pho日本の寺院や仏像は金箔や彩色が落ちても、渋いまま元に戻さない方が多いようです。(金閣寺や、平安神宮は例外?)それはお茶の「侘び寂び」の影響でしょうか?いずれにしろ、風景や自然に溶け込んだ佇まいは、日本人の気風に合っているように思います。それに比べ、タイの寺院のカラフルなこと!そして金ピカでエキゾティックな面持ちの仏像。日本人の私にはちょっとそれが「安っぽく」感じられました。

実は今回のタイ旅行でどうしても行きたかったのはスコータイ。同じ仏教寺院でも、スコータイのは、13世紀頃の仏教遺跡群。遺跡としては、バンコクからも近いアユタヤが有名ですが、スコータイはアユタヤより観光地としてはおっとりしたもので、アクセスもあまり良くありません。平日に行ったのですが、観光客も少なく閑散としていました。それがかえって良かったと思います。スコータイ歴史公園から一番近い宿をとり、午前中に到着したので、早速宿の自転車で出掛けました。歴史公園の城壁内有料区域は広い敷地に沢山の遺跡群があり、公園として整備保存されていました。広いのですが、自転車で走り回り、お昼すぎには有料区域の遺跡全部を周り切ることが出来ました。Skhothai 01

昼食後、区域の外に点在する遺跡に行ってみることにしました。この辺りは、少し街から離れると、豊かな森が広がる、たおやかな自然に包まれています。地図を頼りに自転車を走らせると、風景の中にとけ込むように佇む遺跡は、時を超えて目の前に現れてきたかのようで、驚きを伴った新鮮さがありました。Wat Sri Chum2一番のお気に入りは、ター・パー・デーン堂。スコータイで一番古い遺跡で、13世紀の仏教寺院建立以前の、12世紀のヒンドゥー教の祠。仏教遺跡は様式美があり、大変洗練されているのですが、こちらはもっとプリミティヴ。ゴロンとした存在感が何かユーモラスでした。San Ta Pa Daen

よく整備保存された有料区域に比べ、外の遺跡は、まだ修復が進まず、少し荒れていて、文字通り「遺跡」の佇まいがありました。他の観光客とも全く会わず、遺跡の中にぽつんと私達だけ。おかげで「夢のあと」の寂寥感を、そこはかとなく味わえました。その昔、王朝の都として栄華を極めたに違いありません。その興亡とともに、壮大な人間ドラマが繰り広げられたことでしょう。しかし。今は静けさの中、夏草に覆われ、朽ちた建物の形骸が残るのみ。正に諸行無常。実はこの「諸行無常」という言葉は、重要な教えを内包した仏教用語です。バンコクのピカピカのお寺でははなく、崩れかけたお寺の残骸に囲まれ、諸行無常を実感するとは、逆説的ですね。想いを巡らせながら上を見上げると、ゆったりと流れるポワンとした雲と、突き抜けるような青空が広がっていました。地上では一つの文明が華咲き、やがて滅び去っても、何にも動じず、変わらず全てを包み込む大空に、その時、悠久の時の流れを感じました。

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