タイ旅行その3~混沌・未分化と無秩序

2013/09/15 at 22:15

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lotus flowerコラム「混沌のバンコク(タイ旅行その1)」に予想以上に反響がありました。びっくり、そして少し嬉しいやら‥‥。  ある方からメールをいただき、東北の被災地の混沌とした状況に言及され、青年のパワー、未来への展望が見えないこと、更に日本全体が同じような状況ではないかと、悲しんでおられました。確かに、被災地、そして原発で起きていることは、行き詰まった末、山積みの問題を前にして、身をすくめ、固まってしまったような状況です。日本全体の状況とも共通するのは、全てが場当たり的対症療法であること。 問題点を的を射た視点でよく分析し、しっかりとした現状認識を持つことから始め、将来の選択肢としてのヴィジョンと方法、それらのメリット、デメリットを示し、オールジャパンの議論を尽くして、そのいずれかを選択し、実行するしかありません。そこには創造的な智慧と実行力、そして忍耐が不可欠です。これが出来ないところに、東北、原発を含む日本全体の病巣があると感じます。なぜこれが出来ないのでしょうか?いつまでこれが続くのでしょうか? 今の日本は、若者が将来に楽天的な夢を持つには程遠い状況ですが、動きのとれないように見える現状も、無常ですから、放っといても時の流れに洗われ、変化することは不可避な事実です。同時に今、少なくとも、私達には選択し、実行できる自由とその余地があります。つまり、状況を意志的に変えていくことが出来る事を忘れてはなりません。 2020年オリンピックの招致を決め、このニュースで日本が沸き立ちましたが、これが、日本問題の本質から単に目をそらすだけのものに終わらないことを切に願います。

「カオス=Chaos」という言葉は混沌と訳されることが多いのですが、古典ギリシャ語で、森羅万象が形成される以前の、原初の未分化なエネルギーに満ちた状態を意味するようです。同じ語源の言葉が、英語では「ケイオス」と発音され、「無秩序」「大混乱」口語的には「ムチャクチャ」の意味で使われるようです。東北のどん詰まりの混沌はこちらの「ケイオス」に近いように思えます。一方、バンコクの混沌は、未だ一定の秩序や形式の枠に収まることのない、エネルギーに満ちた混沌。こちらはギリシャ語の「カオス」。

物事が形作られ始めると、そこに「秩序」が形成され始め、やがてしっかりと秩序が全体を支配するようになると、その物事の形や性質、状態が維持されます。様々な要因で、秩序が崩壊し始める時が、形の崩壊と、混沌の始まりと言えると思います。現象の生滅の前後にあるのが、混沌ということでしょうね。同じ混沌ですが、現象を中心に観ると、その前後で、未分化の混沌、無秩序の混沌と言えそうです。

現象の世界は、生滅がひっきりなし。復興が遅々としてして進まない東北も、長いスパンで考えると、50年後、100年後も、今と同じどんずまり状況が続いてるとは思えません。しかし同時に、震災以前と同じ姿に戻っているとも思えません。現象(諸行)の無常はその通りですが、自分が大切にしていたものを失ったとき、それを何としても取り戻したいと願うのが人の情。現象と人心のギャップは常に葛藤をもたらします。栄華を極めたスコータイ王朝も末期は大変な混乱、混迷の中に、人々が右往左往したことでしょう。しかし、悠久の時の流れの中では、全てははかない夢のあと。今は全てが鎮まり、文字通り、静まり還って、次の時を待っているかのようです。 転じて観ると、原発事故処理が終息し、鎮まらないかぎり、福島には次の時は来ません。

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