タイ旅行その1~混沌のバンコク

2013/08/04 at 17:28

色々抱えていた案件が落着したので、気分転換も兼ね、一週間程タイに行って来ました。以前からタイには親近感を感じていたこと、それから豊田勇造くんの歌に出て来る様々なタイの顔を、自分の目で見て体感したかったからです。

バンコク~スコタイ~チェンマイとタイ中央から北への旅でした。

bankokバンコクには正にアジアのカオス(混沌)があり、聖俗、新旧、洋の東西、美醜、貧富等々、どんな物でも飲み込んでしまう、コントロールを超えたエネルギーが満ちていました。特に、日本と一番違うのは、若者達がエネルギッシュであること。将来に対して楽天的で、若さを思いきり楽しんでいるように見えました。日本のような格好だけの洗練はありませんが、内に溢れる元気さが光っていました。

新しい何か、クリエイティブな発想が生まれてくる土壌は、決してクリーンで整った状況ではなく、雑菌うようよの何だか分けの分らないカオスな場が必要な気がします。矛盾と相克の緊張と、ぶつかり合い、破壊と創造をはらんだ、渦のようなエネルギー。私の青春時代、60年代~70年代の日本には、価値観すべてが揺らぎ、壊れていくような混沌のエネルギーが社会に満ちていました。ユニークな人達、びっくりする出来事やもの等、文字通り奇想天外だらけで、お金はなかったけど、とにかく面白かった。当時気鋭の奇才画家、岡本太郎が「芸術は爆発だ!」という言葉を残しましたが、正にそんな感じの時代でした。私は夢中でその時代を駆け抜けました。今振り返っても、かけがえのない青春でした。(ちなみに、私は岡本に共感を感じつつも、実は、彼の作品と表現のやり方は必ずしも好きではありません。)

どういうわけかバンコクの雑踏の中て、あの青春時代に似た熱気を感じ、あの頃の記憶が蘇りました。同時に、自分の内に、ある種のカオスを養わないといけないなあと、実感しました。 心をちゃんと整理しておいた方が、落ち着いて生活出来るのですが、それではあんまり面白みのない人生かな? 反対に混沌もよしとし、整理し切れない、ふつふつしたエネルギーに自分を浸す方が、インスピレーションが降って湧くような気がします。ピアニストである私には、インスピレーションは不可欠ですから、どうすれば自分をそのような状態に持って行く事が出来るでしょう? 岡本太郎は「反骨」を糧にしたように思います。反骨は分かり易いし、社会的にもカッコイイ、例えば「反骨の芸術家」なんてね。しかし、私にとっては「反骨」に少し違和感があり、反骨とは違うもっと自然な質のアプローチをしたいのです。

ではどういうアプローチかというと、「決めつけない事」「とらわれない事」、そして何より、混沌であれ、反骨であれ、何でも受け入れ、包み込む「おおらかさ」。 心には本来的に自由で制限のないエネルギーが宿っていて、無理して型にはめず、流れるままに解放する事が重要な鍵になる気がするのです。 岡本の、個による体制への反骨、いわば、個と世界が対峙する西欧的世界観に対して、私のは東洋的世界観からのアプローチかも知れません。バンコクの混沌には、確かに楽天的なおおらかさがありました。

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